西高Hot news2024
万葉の庭の紹介⑥
万葉の庭にある「5あやめぐさ(ショウブ)」を紹介します。(万葉の庭〜散策の栞より)
(写真:久喜市役所:久喜市にある菖蒲城址あやめ園のハナショウブより)
「ほととぎす待てど待てど来鳴かず菖蒲草玉に 貫く日をいまだ遠みか」
大伴 家持(おおとものやかもち)(巻八ー一四九〇)
*大意
「ほととぎすは、待っているのに鳴かない。あやめぐさを玉に通す日が、まだ遠いからなのか。」
*ひと言
端午の節句には、ショウブの葉でくす玉を作り、参内者の冠につけて祝うという宮廷行事があったらしい。それが「菖蒲草玉に貫く日」で、この役を担当する菖蒲の蔵人という役職まであった。今でも続くショウブ湯の風習と同様に、一種の厄除けであったと思われる(威勢よく伸びる ショウブの葉姿にあやかろうとしたという説が有力である)。
*植物メモ
<いずれがアヤメかカキツバタ>とけんを競う、あのアヤメ科の美女たちとは全く別種。サトイモ科に属するから、さしづめイモネイちゃん(失礼!)といったところか?
鋭く剣状に伸びた葉の途中を割るように、花が肉穂花序をなして(早い話が穂先みたいな形で)出てくる。
女子バスケットボール部 春季南部支部選手権大会について
5月3日(月)本校を会場として、春季南部支部選手権大会が行われました。対戦相手は上尾鷹の台高校です。
スコアは以下のとおりです。
第1ピリオド 21−14、第2ピリオド 29-7、第3ピリオド 17-11、第4ピリオド24-15
浦和西高校91点 VS 上尾鷹の台高校47点 で西高の勝利となりました。
西高は試合開始直後からマイボールにすると速攻が決まり、先制しました。ディフェンスの力があり相手にプレッシャーをかけ、パスコースに入りインターセプトから速攻を決めて行きます。また、遅攻の時でも相手ディフェンスを交わしキレの良いカットインからシュートを決めて行きます。前半を50ー21で折り返し、後半は41−26という結果でした。攻守のバランスがよくとれており、鍛えられたフットワークの良さが印象的でした。次回の試合でもさらなる活躍を期待しています。
万葉の庭の紹介⑤
万葉の庭にある「45ふぢ(フジ)」について紹介します。(万葉の庭〜散策の栞より)
(写真:津市ー春から夏に咲くふじの花より)
「藤波の花は盛りになりけり奈良の京を 思いほすや君」
大伴 四綱(おおとものよつな)(巻三ー三三〇)
*大意
藤の花は今満開になりました、奈良の都を恋しく思いますか、君は。
*ひと言
詩書に「防人司佑大大伴四綱歌」とあるから、作者は大伴旅人(家持の父)に仕えた太宰府の役人だろう。太宰府長官となって九州に下った旅人は、赴任後まもなく妻に死なれたり、自分も病にかかったりして不遇だった。四綱は、そんな長官を慰めようとしたのだろう(この歌に対する旅人の反歌については、巻三ー三一を紐解いてみよう)。
*植物メモ
蔓が右巻きに絡みつき、花が五〇センチから中には二メートルも房となって垂れ下るノダフジと、左巻きで花の房が二〇〜三〇センチと短いヤマフジの二種がある。万葉歌の「ふぢ」は後者と思われる。
Poem by Otomo Yotsuna,captain of the frontier gurads at the Dazaifu
Now that the wisteria are in full bloom,sweeping down like waves,do your thoughts,my Lord,turn to the capital at Nara?
斜面林を紹介します②
斜面林について改めて紹介します。西高では平成11年から地域に住む住民の方々を中心に、ボランティア団体「浦和西高斜面林友の会」が組織され、それまで放置されていた斜面林の再生を開始していることを前回お伝えしました。
この「浦和西高斜面林友の会」の活動は、毎月第2土曜の9:30〜11:30に行われています。近日中には、5月8日(土)に実施する予定です。この日の主な内容は、地学室に集合し、令和2年度の活動報告及び令和3年度の事業計画が報告され、「浦和西高斜面林友の会」の総会として活動内容が計画されています。今回については、コロナ禍のこともあり、高校生の参加は自粛してもらうことになっております。活動内容につきましては、こHPで随時報告して行きます。
なお、下記「浦和西高斜面林友の会」のHPのリンクを貼り付けておきますので、興味のある方は是非ご覧ください。
⬇️
https://unshamenrin.wixsite.com/un-shamenrin
万葉の庭の紹介④
万葉の庭にある「36ツツジ」について紹介します。(万葉の庭〜散策の栞より)
「水伝ふ磯の浦回の石つつじもく咲く道をまた見なむかも」
舎人(巻二ー一八五)
*大意
水の流れる池の礒辺の、いわつつじがいっぱい咲いている道を、またみることがあるだろうか。
*ひと言
この歌の詠み人は、草壁皇子に仕えた舎人(召使い)であったらしい。皇子は天武天皇の子で、天皇後継が確実視されていたが、父帝死後まもなく即位する前に急死してしまった。代わって母親の持統天皇が即位することになるのだが、それはともかく、満開のツツジが舎人の心にまた新たな悲しみを誘ったに違いない(皇子は、ツツジの花の咲き乱れる季節に、惜しまれつつ亡くなったのだろう)
*植物メモ
日本の山野にはツツジの類が多く、野生のものだけでも二十種類以上もあるが、万葉に詠まれているのは、ほとんどがヤマツツジと思われる。現在、漢字で躑躅の字があてられるが、この漢字は(羊が佇んでツツジを食べて斃れる)の意味を持つ。しかし、これに該当する毒性を持つツツジは、レンゲツツジに」が限られるらしい。