令和6年度第2学期 終業式校長講話
今学期は、文化祭、修学旅行、マラソン大会などといった大きな学校行事がありましたが、皆さんの力を総結集して、大いに盛り上がり、成功を収めることができました。特に90周年記念講演会や記念誌の発行、人工芝完成披露式などでは、本校OB・OGといった卒業生たちが見せてくれた西高に対する母校愛や90年という伝統の素晴らしさに胸が熱くなる思いでした。また、部活動においても、新人大会や作品の発表・出展など、運動部・文化部問わず、日頃の成果を存分に発揮してくれました。様々な学校行事を通じて、また、試合の応援や、作品展等に足を運ぶ中で、西高生の勢い、皆さんのひたむきに頑張る姿に熱い感動を君たちから、もらいました。今後も、自主自立の精神のもと、仲間とともに自らを高めあいながら、西高をさらに盛り上げていってほしいと思います。
それでは、今日は、終業式に際し、現在、千葉工業大学の未来ロボット技術研究センターで所長を務めている古田貴之教授の話をしたいと思います。古田教授は、世界で初めて人工知能を搭載したサッカーをするロボットや、バック転するロボットを開発するなど、世界の第一線で活躍されているロボット研究者です。テレビ番組等に多く出演されているので、知っている人もいるかもしれません。
幼い頃の古田少年は、「鉄腕アトム」や「マジンガーZ」(少し古いですね。)、今で言うと「ガンダム」や「エヴァンゲリオン」といったところでしょうか。そういうものに憧れ、いつしか巨大ロボットを作る人になりたいという夢を抱くようになりました。
しかし、14歳の時、授業中に、突如意識を失って昏睡状態に陥り、2週間後、意識が回復するも、脊髄の難病にかかっていて、下半身は麻痺、命は持って8年、助かったとしても一生車椅子生活になるだろうと、医師から宣告されてしまいました。
車椅子での闘病生活の中で、何よりもストレスに感じたのは、皮肉なことに多くの親切な人々の手助けだったそうです。
ある日、古田少年は、病院の外へ散歩に出かけようとしました。廊下の移動は車椅子でも問題ないのですが、難関は手押しの扉です。少し時間をかければ自分の力で開けてドアの向こうへ進むことができるのですが、たいていは親切な人が現れて、さっと扉を開けてくれるのです。「ありがとうございます。」と感謝する一方で「それぐらい自分でできるのに!」と苛立つこともあったそうです。
また、買い物の際、レジで会計をしようとすれば、必ず誰かが手伝ってくれます。書店で欲しい本を手に取ろうと書棚に近づくと「どの本を見てみたいの?取ってあげようか?」と親切心から声をかけられる。毎日がその繰り返しでした。
自分はこの先ずっと、誰かの力を借りながら生きていかなければならないのだろうか。他人の親切やボランティアに頼らずとも、車椅子に足をつけて、どこにでも行けるようなものを作りたい。身体は思うようには動かないけれど、機械の力を借りれば、「どこかに行きたい」という気持ちを動きに変換できるのではないか。
「不自由が不自由でなくなる」、「不幸せが幸せに変わる」、そんなロボットを作ったら、自分と同じ境遇の人はきっと喜ぶに違いないと思うようになりました。
その後、病気は奇跡的に回復しました。しかし、14歳からしばらく続いた車椅子生活は、古田少年のロボットに対する考え方を根底から変えていきました。巨大ロボットも格好いいけれど、もっと身近な人の役に立つロボットを徹底的に開発しよう。車椅子の生活を余儀なくされた経験から、「車輪にもなって、脚にもなる、そんな車いすがあったらいいな」と、いつしか「二足歩行型車椅子ロボット」を思い描くようになり、その後、ロボット工学の研究室がある青山学院大学理工学部へ進学し、人の足の代わりとして、どのような状況の地面でも進むことができるロボット、坂道や段差でも車体を水平に維持したままで走行できるロボットの研究・開発へと突き進んでいきました。
そして、ついには、その研究により、東日本大震災の際に、福島第一原発の放射能汚染で人が入れない建屋内部の調査に不可欠な災害対応ロボットの開発の成功に至ったのです。調査には、国内外の様々な機械を使って挑みましたが、放射能に汚染され、爆発により、様々な瓦礫や障害物がいたるところに横たわっている福島第一原発1~4号機の建屋内、その1階から5階までの全フロアを探査し、正確な内部の状況を把握することができたのは、唯一、古田教授が開発した災害対応ロボットだけだったそうです。日本の危機を救うためのミッションを成し遂げたロボット開発成功の原点は、14歳での車椅子生活という不自由の中で、思い描いていた「二足歩行型車椅子ロボット」だったのかもしれません。
さて、「不自由を不自由でなくす」、「不幸せを幸せに変える」、このことを実現できるのは、何もロボットだけではありません。
先日、都内で開催されたあるフォーラムで、高校生たちが、「作ってみたい夢の材料」をテーマにアイデアを発表した記事が新聞に掲載されていました。
「私の通っているマンションの一室にあるピアノ教室に、下の階の住民から苦情が寄せられた。そこで壁や床の材料を液体状にするなど工夫を凝らし、音を通さない物質を開発したい。」
「コロナ禍でアクリル板が広がったが、向こう側が見えづらかった。屈折率1の物質が開発できれば、光が屈折しないので見やすくなる。」
「東日本大震災の時、ボランティアに参加したが、多くの避難所で食料が足りず、被災者が栄養失調に近い状況に陥る様子を目の当たりにした。長期間の備蓄が可能で、栄養価の高い災害食の開発・普及に貢献したい。」
どのアイデアも、それぞれの生活や体験の中で、皆さんと同世代の高校生たちが発想したものです。しかし、その原点は、「不自由を不自由でなくす」、「不幸せを幸せに変える」という、まさに古田教授が幼少期に考えたものと同じだと思いませんか。
この秋、校長室で何名かの3年生の面接練習を行いました。その際、生徒たちは、例えば、障害を抱えた方々が幸せに暮らせるよう共生社会の実現を目指したい。7人に一人が相対的貧困という現状から子供の貧困問題を解決していきたい。出版という仕事を通じて、様々なジャンルの文学の面白さを伝えながら、若者の活字離れに歯止めをかけていきたい。幼少期のアフリカでの体験から国際医療看護師として発展途上の国々の人たちを救済したいなどなど、どの生徒もこれまでのそれぞれの生活体験を通じて描き始めた将来の夢を熱く語ってくれました。身近な課題を取り上げ、その問題解決に向けた、まさに「不自由を不自由でなくす」、「不幸せを幸せに変える」という思いからだと思います。
皆さんは、将来、社会が抱えている「不自由さ」、「不幸せ」を解決していくための知識を得るために、この浦和西高校で、あらゆる教科を勉強し、様々な分野の基礎知識を習得しています。そして、古田教授が14歳に抱いた思いが、のちの災害対応ロボットにつながったように、この多感な高校時代に、あらゆる学問の基礎知識を持って、自分の興味関心を深め、様々な思考を巡らすことは、世の中をより幸せにするためのヒントの発見やひらめきを可能にし、必ずや将来の皆さんの生き方につながっていくものです。
皆さんには、計り知れない可能性があります。この浦和西高校で、お互いに切磋琢磨しながら、更に自らを高め、そして、将来、社会のリーダーとして、どのような社会貢献につとめていってくれるのか、本当に今から楽しみです。これからも自分の可能性を信じて、素敵な未来を切り拓いていってください。
忙しかった2学期も今日で終わりです。明日からの冬休み、3年生は一般受験に向け、いよいよカウントダウンが始まります。大丈夫。現役生は最後の一瞬まで実力が必ず伸び続けます。決して弱気になることなく、絶対に志望大学に合格するぞという強い信念を持って、自分の今やるべきことに集中して、ラストスパート、合格に向けて最後まで走り抜けてください。
1、2年生は、西高生としてのこれまでを振り返り、3学期や4月からの新年度につながるよう、学習事項の総復習、部活動などでの新たな目標設定にこの冬休みを使ってみてはどうでしょうか。
くれぐれも、事故等には十分気を付けて、1月9日には元気な姿を見せてください。
自主自立、輝け西高生! それでは皆さん、メリークリスマス そして、良いお年を!