式辞・講話

式辞・講話

令和6年度第3学期 始業式校長講話

 皆さん、明けましておめでとうございます。

 年末年始はあっという間に過ぎ去ってしまった感じですが、充実した冬休みを過ごすことができたでしょうか?気持ちを新たに、新しい目標を立て、新たな決意で今日を迎えた人も多いことと思います。 

 今年は巳年。ヘビは脱皮をしながら成長していくことから、新しいことの始まりを象徴すると言われています。この新しい年が皆さんの成長につながる素晴らしい一年になることを願っています。

  今日は、まず初めに、昨年12月18日に皆さんに注意喚起した、インターネット上に本校を名指しで西高の生徒及び教職員に危害を加える旨の犯行予告が書き込ま れていた件ですが、先日警察から連絡があり、「IPアドレス等をたどって犯人を突き止めた。犯人は千葉県在住の未成年の少年で、本校はもとより埼玉県とは全く関係がない人物で、犯行の理由については、深い意味はなかったと供述している」とのことでした。万が一西高関係者に何かあったら取り返しがつかないと、連日警察と対応してきた側としては、警察に捕まりホッとしている反面、犯人に対しては、ふざけるなという怒りの気持ちでいっぱいです。

  今回の件を通じて、ネット上への悪質な書き込みは、加害者は、ちょっとからかってやろうくらいの軽い気持ちで書き込んだとしても、被害者にとってはとてつもない恐怖心を与えてしまう本当に許せない卑劣な行為であり、警察の捜査で逮捕される犯罪なんだということ、そして、私も含め、ここにいる全員が、ネットを普段利用している者として、SNS等の正しい使い方を常に意識して、軽率な書き込みは絶対にしないということを改めて確認したいと思います。併せて、今回の件で、連日早朝から夜遅くまで頻繁にパトロールをし続けてくれた浦和警察署の警察官の皆さんへの感謝の気持ちは忘れてはいけないとも思います。

  さて、今日は、3学期の始業式に際し、「人間万事塞翁が馬」略して「塞翁が馬」という中国の格言について話したいと思います。ひょっとしたら、国語の授業で習った生徒もいるかもしれませんね。

  これは中国の前漢時代、今から約2,200年前に書かれた「淮南子(えなんじ)」という書物の中に記された格言だそうです。「人間(じんかん)」は、ここでは「人生」という意味、「万事」は「すべてのこと」、「塞(さい)」というのは「砦」または「お城」のことで、「翁(おう)」は「お爺さん」という意味です。直訳すると、「人生のすべての出来事は、塞翁の馬のようである」といったところでしょうか? こんな話です。

  昔、中国のお城の近くの村に、おじいさんが、一人息子と住んでいました。そのおじいさんの唯一の財産は、一頭の馬でしたが、ある日、その唯一の財産の馬が逃げ出してしまいました。すぐ村人たちが集まって来て、「大変ですね。」と、おじいさんを気の毒がって慰めに来ました。でも、おじいさんは平然として「いやいやこれは何か良いことの始まりかもしれん。」と言いました。

  その後、二、三日すると、その馬が帰って来て、しかもその馬より更に良い名馬を一緒に連れて帰ってきました。すると、村人たちは、すぐに、「おじいさん素晴らしい、良かったですね。」と集まってきました。でもおじいさんは、今度は「いやいや、これは何か悪いことの始まりかもしれん。」と言いました。

 すると、今度は、名馬に乗っていた一人息子が落馬して足を複雑骨折してしまって、歩けなくなってしまいました。また、村人がやって来て、「おじいさん、えらい災難ですね。」と見舞いに行くと、おじいさんはやはり、平然として「いやいや、これは何か幸福のもとになるかもしれん。」と言いました。

  その翌年、隣国との戦争がはじまりました。村の若者はほとんど全員が、戦闘に駆り出され、ほとんどが亡くなってしまいました。しかし、おじいさんの一人息子は足を怪我して歩けなかったので、兵役を逃れ、戦死せずに済みました、という話です。

  村人のように一喜一憂するのではなく、おじいさんのように、どのような状況であってもどっしりと構えよ、ということを教えてくれる格言だと思います。

  皆さん一人ひとりにとっても、勉強面や部活動、仕事やあるいはプライベートなどで、伸びたり、伸びなかったり、上手くいったり、いかなかったりと、それぞれの塞翁が馬があると思います。

  うまくいく時もあれば、ダメな時もある。楽しいこともあれば、つらいこともある。それが、人生です。だからこそ、人生はおもしろい。大切なのは、どのような状況であっても、慌てふためくことなく、ぶれることなく、お爺さんのように、一喜一憂するのではなく、どっしりと構えること。そして、一見良くないことが起こった、その時こそ、これはチャンスかもしれないと考え、前を見据え、自らの歩みを進めていこうと、逆にいいことが続いた時には慢心せずに、有頂天にならずに、謙虚な気持ちを大切にして過ごそうと、まさに「人間万事塞翁が馬」、そんな人生をお互いに送っていきたいものです。

  校長として西高に着任して以来、授業や学校行事、部活動など、様々な場面で、何事にも一生懸命取り組む西高生の姿、そしてそれを見守り、温かくご指導してくださっている先生方の姿を目にする度に、私は、この浦和西高校を大変誇らしく思っています。

  だからこそ、皆さんには、これからの長い人生の中で、どんな状況にあっても、例えば、慌てふためいて判断がぶれてしまったり、心が折れてしまい、諦めてしまったりすることが決してないよう、例えば、気持ちが慢心して有頂天となり、自分自身を見失なってしまうことがないよう、塞翁が馬の教えにあるような、将来社会のリーダーとして活躍するための人間としてのベース、土台の部分を、この西高でしっかりと育んでいってほしいと思います。

 今日から始まる3学期は、言うまでもなく、1年間の総まとめの時期となります。今年度努力し続けてきた事を、最後までやり通し、立派に仕上げる、つまり、それぞれの「有終の美」を飾ってほしい。

  3年生の皆さん、今、最後の追い込みで大変な毎日を過ごしていると思います。ただ、この時期、受験に対して変に不安になったり、ジタバタしたりする必要は全くありません。現役生は最後の一瞬まで実力が必ず伸び続けます。絶対に第一志望校に合格するんだという強い覚悟を持ち続け、頑張っている自分を最後まで信じて走り抜けてください。大丈夫。桜は必ず咲きます。

  1・2年生の皆さん、すでに部活動や学校行事など、学校の中心は皆さんです。3年生からしっかりと引き継いだ本校の良き伝統の下、西高をさらに盛り上げていってください。そして、皆さん自身も授業に部活に学校行事にと全力で取り組み、心身共に鍛え抜き、さらなる成長を目指してください。

  自主自立、輝け 西高生! 今学期、皆さん一人ひとりが、どのような有終の美を飾ってくれるのか楽しみにしています。

令和6年度第2学期 終業式校長講話

 今学期は、文化祭、修学旅行、マラソン大会などといった大きな学校行事がありましたが、皆さんの力を総結集して、大いに盛り上がり、成功を収めることができました。特に90周年記念講演会や記念誌の発行、人工芝完成披露式などでは、本校OB・OGといった卒業生たちが見せてくれた西高に対する母校愛や90年という伝統の素晴らしさに胸が熱くなる思いでした。また、部活動においても、新人大会や作品の発表・出展など、運動部・文化部問わず、日頃の成果を存分に発揮してくれました。様々な学校行事を通じて、また、試合の応援や、作品展等に足を運ぶ中で、西高生の勢い、皆さんのひたむきに頑張る姿に熱い感動を君たちから、もらいました。今後も、自主自立の精神のもと、仲間とともに自らを高めあいながら、西高をさらに盛り上げていってほしいと思います。 

  それでは、今日は、終業式に際し、現在、千葉工業大学の未来ロボット技術研究センターで所長を務めている古田貴之教授の話をしたいと思います。古田教授は、世界で初めて人工知能を搭載したサッカーをするロボットや、バック転するロボットを開発するなど、世界の第一線で活躍されているロボット研究者です。テレビ番組等に多く出演されているので、知っている人もいるかもしれません。

  幼い頃の古田少年は、「鉄腕アトム」や「マジンガーZ」(少し古いですね。)、今で言うと「ガンダム」や「エヴァンゲリオン」といったところでしょうか。そういうものに憧れ、いつしか巨大ロボットを作る人になりたいという夢を抱くようになりました。

  しかし、14歳の時、授業中に、突如意識を失って昏睡状態に陥り、2週間後、意識が回復するも、脊髄の難病にかかっていて、下半身は麻痺、命は持って8年、助かったとしても一生車椅子生活になるだろうと、医師から宣告されてしまいました。

  車椅子での闘病生活の中で、何よりもストレスに感じたのは、皮肉なことに多くの親切な人々の手助けだったそうです。

  ある日、古田少年は、病院の外へ散歩に出かけようとしました。廊下の移動は車椅子でも問題ないのですが、難関は手押しの扉です。少し時間をかければ自分の力で開けてドアの向こうへ進むことができるのですが、たいていは親切な人が現れて、さっと扉を開けてくれるのです。「ありがとうございます。」と感謝する一方で「それぐらい自分でできるのに!」と苛立つこともあったそうです。

  また、買い物の際、レジで会計をしようとすれば、必ず誰かが手伝ってくれます。書店で欲しい本を手に取ろうと書棚に近づくと「どの本を見てみたいの?取ってあげようか?」と親切心から声をかけられる。毎日がその繰り返しでした。 

 自分はこの先ずっと、誰かの力を借りながら生きていかなければならないのだろうか。他人の親切やボランティアに頼らずとも、車椅子に足をつけて、どこにでも行けるようなものを作りたい。身体は思うようには動かないけれど、機械の力を借りれば、「どこかに行きたい」という気持ちを動きに変換できるのではないか。

  「不自由が不自由でなくなる」、「不幸せが幸せに変わる」、そんなロボットを作ったら、自分と同じ境遇の人はきっと喜ぶに違いないと思うようになりました。

  その後、病気は奇跡的に回復しました。しかし、14歳からしばらく続いた車椅子生活は、古田少年のロボットに対する考え方を根底から変えていきました。巨大ロボットも格好いいけれど、もっと身近な人の役に立つロボットを徹底的に開発しよう。車椅子の生活を余儀なくされた経験から、「車輪にもなって、脚にもなる、そんな車いすがあったらいいな」と、いつしか「二足歩行型車椅子ロボット」を思い描くようになり、その後、ロボット工学の研究室がある青山学院大学理工学部へ進学し、人の足の代わりとして、どのような状況の地面でも進むことができるロボット、坂道や段差でも車体を水平に維持したままで走行できるロボットの研究・開発へと突き進んでいきました。

 そして、ついには、その研究により、東日本大震災の際に、福島第一原発の放射能汚染で人が入れない建屋内部の調査に不可欠な災害対応ロボットの開発の成功に至ったのです。調査には、国内外の様々な機械を使って挑みましたが、放射能に汚染され、爆発により、様々な瓦礫や障害物がいたるところに横たわっている福島第一原発1~4号機の建屋内、その1階から5階までの全フロアを探査し、正確な内部の状況を把握することができたのは、唯一、古田教授が開発した災害対応ロボットだけだったそうです。日本の危機を救うためのミッションを成し遂げたロボット開発成功の原点は、14歳での車椅子生活という不自由の中で、思い描いていた「二足歩行型車椅子ロボット」だったのかもしれません。

  さて、「不自由を不自由でなくす」、「不幸せを幸せに変える」、このことを実現できるのは、何もロボットだけではありません。

 先日、都内で開催されたあるフォーラムで、高校生たちが、「作ってみたい夢の材料」をテーマにアイデアを発表した記事が新聞に掲載されていました。

  「私の通っているマンションの一室にあるピアノ教室に、下の階の住民から苦情が寄せられた。そこで壁や床の材料を液体状にするなど工夫を凝らし、音を通さない物質を開発したい。」

  「コロナ禍でアクリル板が広がったが、向こう側が見えづらかった。屈折率1の物質が開発できれば、光が屈折しないので見やすくなる。」

  「東日本大震災の時、ボランティアに参加したが、多くの避難所で食料が足りず、被災者が栄養失調に近い状況に陥る様子を目の当たりにした。長期間の備蓄が可能で、栄養価の高い災害食の開発・普及に貢献したい。」

  どのアイデアも、それぞれの生活や体験の中で、皆さんと同世代の高校生たちが発想したものです。しかし、その原点は、「不自由を不自由でなくす」、「不幸せを幸せに変える」という、まさに古田教授が幼少期に考えたものと同じだと思いませんか。

  この秋、校長室で何名かの3年生の面接練習を行いました。その際、生徒たちは、例えば、障害を抱えた方々が幸せに暮らせるよう共生社会の実現を目指したい。7人に一人が相対的貧困という現状から子供の貧困問題を解決していきたい。出版という仕事を通じて、様々なジャンルの文学の面白さを伝えながら、若者の活字離れに歯止めをかけていきたい。幼少期のアフリカでの体験から国際医療看護師として発展途上の国々の人たちを救済したいなどなど、どの生徒もこれまでのそれぞれの生活体験を通じて描き始めた将来の夢を熱く語ってくれました。身近な課題を取り上げ、その問題解決に向けた、まさに「不自由を不自由でなくす」、「不幸せを幸せに変える」という思いからだと思います。

  皆さんは、将来、社会が抱えている「不自由さ」、「不幸せ」を解決していくための知識を得るために、この浦和西高校で、あらゆる教科を勉強し、様々な分野の基礎知識を習得しています。そして、古田教授が14歳に抱いた思いが、のちの災害対応ロボットにつながったように、この多感な高校時代に、あらゆる学問の基礎知識を持って、自分の興味関心を深め、様々な思考を巡らすことは、世の中をより幸せにするためのヒントの発見やひらめきを可能にし、必ずや将来の皆さんの生き方につながっていくものです。 

  皆さんには、計り知れない可能性があります。この浦和西高校で、お互いに切磋琢磨しながら、更に自らを高め、そして、将来、社会のリーダーとして、どのような社会貢献につとめていってくれるのか、本当に今から楽しみです。これからも自分の可能性を信じて、素敵な未来を切り拓いていってください。

 忙しかった2学期も今日で終わりです。明日からの冬休み、3年生は一般受験に向け、いよいよカウントダウンが始まります。大丈夫。現役生は最後の一瞬まで実力が必ず伸び続けます。決して弱気になることなく、絶対に志望大学に合格するぞという強い信念を持って、自分の今やるべきことに集中して、ラストスパート、合格に向けて最後まで走り抜けてください。

  1、2年生は、西高生としてのこれまでを振り返り、3学期や4月からの新年度につながるよう、学習事項の総復習、部活動などでの新たな目標設定にこの冬休みを使ってみてはどうでしょうか。

 くれぐれも、事故等には十分気を付けて、1月9日には元気な姿を見せてください。

 自主自立、輝け西高生! それでは皆さん、メリークリスマス そして、良いお年を!

令和6年度第2学期 始業式校長講話

 

 今年の夏は、本当に猛烈な暑さが連日続いた夏でした。そんな厳しい暑さの中であっても、夏期補講に部活動、文化祭準備にと、皆さんが一生懸命取り組んでいる姿を折りに触れ見ることができました。恐らく多くの皆さんが充実した夏休みを過ごすことができたのではないでしょうか。

  さて、この夏、17日間に渡って繰り広げられたパリオリンピックでは、日本は、獲得メダル総数45個、うち、金メダルは20個となり、アメリカ、中国に次いで世界3位となるなど、数多くの種目で素晴らしい活躍を見せてくれました。

  今日は、始業式に際し、そんなパリオリンピックで日本人が見せてくれた2つの競技の大逆転劇について話をしたいと思います。

  まずは、体操男子団体。その決勝で、日本はエースの橋本大輝選手が2種目目のあん馬で落下してしまうなど苦しい戦いを強いられていました。6種目中5種目が終わった時点で2位につけているものの、トップの中国に3点余りの差をつけられ、普通に考えれば、もはや逆転は不可能であり、目標としていた金メダルにはほぼ絶望的な状況でした。しかし、そんな苦しい状況の中であっても、団体メンバーの一人である萱和磨選手は、仲間の選手たちに「絶対に諦めんな。」と何度も何度も声をかけ続け、チームメイト達を鼓舞し続けました。この萱選手は、これまでどんなに演技が崩れても決して中断せずにとにかく最後までやり通す「諦めない男」として抜群の安定感を誇る選手でした。すると、この後、まさかの出来事が起きました。最終種目の鉄棒で、中国の2人目の選手が、なんと2度も落下をしてしまったのです。一方、あん馬で失敗してしまった橋本選手は、しっかりと気持ちを切り替え、この鉄棒でミスなく着地も完璧に決めたことにより、高得点をマークし、奇跡ともいえる大逆転で、見事金メダルを獲得することができたのです。2位となった中国との差は、わずか0.532点。「諦めない日本」が一つの技、一つの着地を最後まで集中力を切らさずに、丁寧にやり抜いた結果、ほんのわずかな差での大逆転劇となったのです。

  逆転劇はスケートボードでも起きました。東京オリンピックに続いての連覇を狙う堀米雄斗選手は、「男子ストリート」決勝で、最後の演技をあと1回残した時点で7位と、メダル圏外に大きく後退し、メダル獲得はほぼ絶望的な状況にありました。

 チャンスはあとたった1回のみという土壇場で堀米選手が挑んだのが、実戦で成功したのはこれまでたった1度だけという「ノーリーバックサイド270テールブラントスライド」という技でした。スケードボードごとレールへ飛び上がりながら、背中側に270度回転し、スケートボードの端をレールにかけて滑り降りる高難度の離れ業でした。堀米選手は、最終の演技でこの起死回生の大技を見事に成功させ、一気にトップに立ち、7位からの大逆転で2大会連続の金メダルを獲得することができました。彼は、成功する確率が極めて低いにも関わらず、自分の可能性を信じ続け、他の選手の演技の合間も、何度もコンクリートにたたきつけられながらも、最後の最後までできる限りの調整に集中した結果のミラクルでした。堀米選手は「自分との戦いでした。少しの可能性、1%の可能性を最後まで信じました。」と振り返っています。

  男子体操とスケードボード、この二つの大逆転劇に共通しているのは、もうダメかもしれないという絶望的な状況にあっても、ほんの少しの可能性を信じて、決して最後まで諦めることをせず、自らを奮い立たせ、粘り強く、自分がやれることを愚直にやり抜いたことだと思います。

  この話は,オリンピックという世界最高峰でのトップアスリート達のサクセスストーリーで、自分たちとは次元が違う話だと思う人も多いと思います。ただ、君たちには、自分とは関係ない世界の話だと簡単には片付けないで話を続けて聞いてほしい。

  例えば、部活動の試合で、その試合に勝つために一生懸命ずっと練習してきたにも関わらず、とても厳しい試合展開になってしまった時。例えば、合格するために何日もかけて勉強をしてきたにも関わらず、受験会場で、難しい問題や傾向が違う問題にぶち当たってしまい、うろたえてしまう時。例えば、仕事で、長い時間かけてプロジェクトの準備を進めてきたのに、プレゼンで交渉相手が理解を示さず契約に難色を示した時。

 こんな風に、人生には、かなりの時間をかけてそれ相応の努力や準備を積み重ねてきたにも関わらず、ピンチな状況になってしまう場面が時としてあるものです。こんな時は、確かに精神的につらい。まだ結果が出ていないのに、「もうダメだ。絶対無理だ。あー、終わった。」そんな気持ちが瞬間的に頭をよぎってしまうことは、容易に想像できます。

  一番恐ろしいのは、ピンチの時に、もうダメだという気持ちだけで、心の全てが支配されてしまい、今までの努力や自分の目指してきたものを忘れてしまい、闘いの残りの時間を投げやりになってしまうということです。

  今挑んでいることは、結果が出るまでは最後までどうなるのかは誰にもわかりません。たった1%の可能性でも自分を信じて諦めなければ、必ず何らかの光が見えてくるものです。

  ただ、現実は厳しいですから、そんなに上手く行かないこともある。たとえ諦めずに最後まで頑張ったとしても、最終的に良い結果にならないかもしれない。それでも、厳しい状況の中で、なんとか今一度自分自身を奮い立たせ、途中で投げ出すことなく、決して腐らず、諦めずに、最後の最後の瞬間までやり切ること、これこそがとても尊いことであり、大切な意味があるということ、そして、その体験が、これからの君たちの人生の中で絶対に次につながるものだと私は確信しています。そして、この夏は、そのことを、いくつかの場面で、君たちからあらためて教えてもらった夏となりました。

  今日から2学期が始まります。勉強はもちろんですが、文化祭を皮切りに、修学旅行、90周年記念講演会、マラソン大会、新人大会や展覧会など、様々な行事が目白推しです。また3年生は受験勉強も本格化してくることと思います。

  皆さんには、この西高で体験するあらゆる教育活動を通じて、様々な壁にぶち当たる時があるかもしれません。そんな時こそ、その困難に対して、簡単には諦めずに最後までやり抜くといった社会のリーダーに必要不可欠な強い精神力を、今後も育んでいってほしいと思います。

  最後に明々後日から始まる文化祭日程ですが、昨年度、本校ではコロナとインフルエンザの感染が広まってしまい、文化祭後、学校閉鎖になってしまいました。今年度は、こうした事態にならないよう、くれぐれも、とにかく換気、手洗い等の手指消毒、必要に応じたマスク着用等、基本的な感染防止の徹底を全員が心掛けて、文化祭に臨んでください。 

  自主自立、輝け、西高生。

 今学期、皆さんにとって実りの多い高校生活になることを期待しています。

令和6年度第1学期 終業式校長講話

 今学期は、体育祭や生徒会行事、つい先日行われた球技大会といった様々な行事を、皆さんの力で、大いに盛り上げてくれました。また、部活動では、試合に応援に行く先々で、最後まで決して諦めずにプレーする姿や、あるいは発表会等で完成度の高いパフォーマンスを見せてくれたりなど、運動部・文化部問わず、皆さんから熱い感動をたくさんいただきました。

 皆さんが見せてくれたこれらの西高スピリットをこれからも大切にして、西高をさらに盛り上げていってほしいと思います。

  さて、1,2年生の皆さんは、先月、文理選択や科目選択等、自分の興味関心や将来の進路希望と併せて、恐らく相当悩みながら、決断したと思います。

 各学年の科目選択説明会では、担当の先生から、その説明の中で、「〇〇が苦手だから、嫌いだから」という消極的な理由で、文系、理系を選択するのではなく、自分という人間は『何に興味があるか』・『何を学びたいか』という視点で、文系、理系を選択してほしい。」という話がありました。今日はこの文理選択に関連した話をしたいと思います。

  ここで、二人の女性を紹介したいと思います。

   一人目は、元宇宙飛行士の山崎直子さんという方です。彼女は、日本人で8番目の宇宙飛行士として、スペースシャトルでのミッションで活躍された人です。様々なメディアで取り上げられているので、知っている人も多いかもしれません。

 彼女が、東大の工学部に在学中に、宇宙飛行士になることを夢見て、アメリカへ留学した時のことです。現地の他の留学生と話をしていると、自分以外の学生たちは、とにかく教養が広い。高校時代から文系・理系にとらわれることなく、体育や芸術、家庭など、受験科目以外の様々な学習にも熱心に取り組んできているなあと感じたそうです。

 ある時、一人のアメリカ人から日本の歴史や文化・風習、風土について尋ねられた際には、全く答えられなかったばかりか、逆に尋ねてきたアメリカ人の方が日本のことをよく知っており、自分の無知に愕然とし、日本人としてとても恥ずかしい思いをしたそうです。

 彼女は、この留学中、高校時代に、受験科目だけではなく、あらゆる教科・科目ももっと熱心に勉強しておけば良かった、日本人としてもっと日本のことを学んでおくべきだったと、とても後悔したそうです。社会人になり、JAXAの一員となってからも、この悔しい経験をメッセージとして、若い時から幅広い知識・教養を学ぶことの大切さを発信し続けています。グローバル化の時代に生きるというのは、こういうことなんだと教えてくれるエピソードですね。

  二人目は、神奈川県にある総合研究大学院大学の前学長、長谷川眞理子教授です。国語の教科書にも彼女が書いた文章が取り上げられているので、知っている人もいるかもしれません。

 長谷川教授は、自然人類学という、ヒトの進化の過程を明らかにしようとする学問を長年研究されていますが、その研究の中で、ヒトの行動の進化を研究すればするほど、動物の行動生態学や内分泌学、脳神経科学などの理系の分野はもちろんですが、心理学、社会心理学、文化人類学などといった文系の分野も、ある程度知っていなければ、研究をさらに深めることはできないということを痛感したそうです。

 その経験から、長谷川教授は、世の中の様々な現象は、多かれ少なかれ互いに関連しているので、自分の専門分野ではない他の分野の研究からも自分は何を学べるのかという謙虚な視点を持ち続けることが、自分の専門分野を深めていく上で大切であるとおっしゃっています。

  二人の話に共通することは、自分の得意分野や専門分野を極めつつも、文系・理系問わずに、幅広い知識を身に付け、自分の引き出しをさらに広げようとする姿勢を常に意識しているということではないでしょうか。

  話は変わりますが、2023年に行われた国公立大学の個別試験や私立大学の一般入試での英語の長文問題のテーマについて調べてみました。ほんの一部ですが紹介します。

  東工大:色彩の科学的分析と食品の関係

 東北大:アルゴリズム

 一橋大:肉食文化の変遷

 千葉大:睡眠とひらめきの関係

 早稲田大:食料と環境問題

 慶応大:出生率の政治的解決策

 上智大:言語学から見た企業の説明責任

 東京理科大:近代科学の歴史

 青山学院大:絶滅危惧種の復活に向けた冷凍保存技術

 明治大:ジェンダーと人種差別との関係

  こうして見ると、理科や地歴・公民、保健体育、芸術、家庭、情報など、幅広い分野から出題されていることがわかります。

 長文問題に取り組む際、その長文の背景となる幅広い基礎知識や予備知識を、日頃の様々な教科の授業を通じて身に付けておけば、例え、英単語、英文法、英語構文が多少わからなかったとしても、本文の内容を理解できるということがよくあります。英単語、英文法、英語構文が「わかる」ということと、英文の内容が「わかる」ということは別次元の話だということは、長文読解を勉強している皆さんならきっとわかるはずです。

 いずれ皆さんは、それぞれの興味関心のもと、それぞれの分野に進んでいくと思います。ただ、高い山ほど裾野は広い。人間も同じです。それぞれの分野で、高みを目指して成長していくためには、土台となる幅広い知識や教養が必要です。

 少なくとも高校で学習する全ての教科・科目の学習内容は、どれも皆さんがこれから生きていくために必要な基礎知識です。

  併せて、今の時代は、生成AIの進展や、ドローンや自動運転技術の発達など、一見理系分野の発達が目覚ましく捉えられがちですが、同時に、AIには対応できない人間の精神的、心理的、感情的な部分での対応であったり、ドローンや自動運転に対する事故対応も含めた法律の整備といった文系分野での判断も必要不可欠であり、もう文系だ、理系だとはいってられない時代なのだということは、私たちは認識していかなければなりません。

  私は、君たちが何かに挑戦しようとしている時の真剣な表情が大好きです。どの授業でも一生懸命理解しようと思考をめぐらせている時の眼差しが大好きです。 だからこそ、君たちには、「文系だから数学はいいや」とか、「理系だから社会は関係ない」など、「文系だから、理系だから、興味がないから、受験に関係ないから」というバイアスで、自らの探究心を閉ざしてほしくはありません。

 皆さんには、どんな時でも何かを吸収してやろう、意欲的にどんなことでも学んでみようとする姿勢、学問に対する貪欲さを生涯持ち続けてほしい。そして、生涯を通じて、幅広い知識や教養を身に付け、社会に貢献するリーダーにふさわしい人材に成長し続けてほしいと思っています。

  明日から40日間の長い夏休みが始まります。自分の時間が格段に増えます。時間を無駄にすることなく有効活用してほしい。例えば、じっくり時間をかけて、苦手分野の克服に挑戦してみる、これまでの定期考査や模試の解き直しを納得いくまでやってみる。部活動で、自分の技術を高められるよう、時間をかけて何回も何回も練習してみる、読書や、美術館・博物館めぐりなどを通じて、じっくりと感性を磨くなど、勉強に、部活動に、新たな挑戦にと、自分の時間を有効に使って、一つのことをやり抜いてみる。自分の限界に挑戦してみる。そんな夏休みにしてみてはどうでしょうか。

  厳しい夏を乗り越えられれば、必ず実りの秋がやってきます。くれぐれも事故に巻き込まれることのないよう、それぞれの充実した毎日を送って心身ともに鍛えぬいてみてください。

 自主自立、輝け、西高生!

2学期、一回り成長した皆さんとお会いすることを楽しみにしています。

令和6年度 第79回入学式式辞

 希望に満ちた穏やかな春風とともに、今日という日をまるで待っていたかのように桜が満開となった、正に春爛漫のこの良き日に、PTA会長 白寄 信吾 様、後援会会長 安藤 真美子 様、同窓会会長 島﨑 富夫 様の御臨席を賜り、ここに埼玉県立浦和西高等学校 第七十九回入学式を挙行できますことは、この上ない喜びであります。

 ただ今、入学を許可いたしました三百五十九名の新入生の皆さん、本校への入学、誠におめでとうございます。教職員一同、皆さんの入学を心から歓迎いたします。これから皆さんが迎える本校での高校生活は、学習をはじめとするあらゆる教育活動を通して自らを鍛える場です。人生の中で、最も多感であり、また、最もエネルギッシュでもあり、理想とする姿を懸命に追い求める、掛け替えのない3年間となるのではないでしょうか。その大切な3年間が、本日から始まるにあたり、皆さんに3つのことをお願いしたいと思います。

  1つ目は、「決して失敗を恐れることなく、最後まであきらめないたくましさを身に付けてほしい」ということです。

 20世紀に活躍した偉大な物理学者、アインシュタインの言葉に、「1度も失敗をしたことがない人は、何も新しいことにチャレンジしたことがない人だ。」という言葉があります。自分の可能性を広げるためには、様々な新しいことへの挑戦が不可欠です。当然、新しいことへの挑戦には、失敗が付き物です。しかし、決して恐れることはありません。なぜならば、私たちは、失敗から多くのことを学び、さらに自分の世界を広げることができるからです。逆に、失敗を恐れるあまり、挑戦することを避け、目先の小さな成功や安定だけを求め続けているのであれば、決してその人の成長は望めません。

  今、社会は、人工知能の劇的な進歩、グローバル化の急速な進展、超高齢社会等、これまで人類が経験したことのない急速な変化の真只中にあります。皆さんには、たとえその中であっても、逞しく生き抜いていくために、他人任せや受け身の姿勢を取るのではなく、自らの意志で行動する主体性や、新たなことに挑戦し続ける積極性、そしてたとえ失敗したとしても最後まであきらめず成し遂げるたくましさをこの西高で育んでいってほしいと思います。

 2つ目は、「疑問を大切にし、知りたいという気持ちを持ち続ける」ということです。本校では、真の自主自立を追求し、自ら考え、課題を発見し、その課題を解決する力、いわゆる「西高力」を育成しています。

  勉強でも、部活動でも、趣味でも、他の人に言われた通りにやっているうちは、うまくなるのも、強くなるのも、たかが知れているものです。逆に、自分の頭でしっかりと考え、見えてきた課題や疑問点に真摯に向き合い、その解決に向け、進んで行動を起こすことで、自らの能力を向上させながら、物事の本質が見えるようになる。これこそが、西高が最も大切にしている「西高力」です。自らの興味関心を深めていく中で、疑問を大切にする。「知りたい」という思いを抱き続ける。答えは容易には出ないでしょうが、自分の頭でしっかりと考え続ける。時には、答えと思ったことが、新たな疑問や悩みの始まりになるかもしれません。しかし、それを繰り返しながら、自分の知りたいこと、好きなことを、ストイックに、本気でとことん追求する。そうすることによって皆さんは確実に成長していくのです。

  3つ目は、「人との新たな出会いを大切にしてほしい」ということです。

 今日から始まる新生活では、新しい友人や先輩、先生方と多くの新しい出会いがあります。様々な人との出会いは、自らの価値観を広げ、人生を豊かにする最高の財産となりうるものです。学校はお互いに尊重し、協力し合う人間関係の在り方を学ぶ場です。一人ではできないことも仲間と取り組むことにより実現できることが多くあることを教えてくれます。時には、意見が合わず、衝突することがあっても、相手を理解し、思いやる心が真の友情を育んでくれます。しかし、人には、自分と違う個性や考え方、自分とは合わない部分、相手が不得意としている部分を批判したり、見下したり、拒絶してしまう、心の弱い部分があります。ここにいじめの心理的要因があるのではないでしょうか。

 グローバル化の急速な進展の中では、実に多様な文化や歴史的背景、価値観を持った人々との関りが増えていくことは必然です。自分とは異なる価値観や合わない部分だけしか見ずに、安易に人を批判したり、拒絶したりするのではなく、それ以外のもっと相手の素晴らしい部分にもしっかりと目を向けて、相手をリスペクトし、思いやることができる、そして、お互いの考えをしっかり伝え合うことができる、そんな素敵な人間関係を是非築いてください。

  本校は今年、創立90年目の節目を迎える県内屈指の歴史と伝統を誇る進学校です。これまで2万8千名以上の卒業生を輩出し、卒業生は様々な分野でその能力を発揮し活躍しています。本校の使命は「自主自立」の精神のもと、知性と教養、人間性を磨き、将来地域や国際社会に貢献できる社会のリーダーを育成することにあります。これからの3年間、皆さんには、「自主自立」の精神のもと、あえて、自らを自由な環境の中に身を置くことで、真の自立した人間性、粘り強さや忍耐力、協調性やリーダーシップといったこれからの変化の激しい社会の中で、自分の足で困難を乗り越えるのに不可欠なたくましさ、本当の意味での「生きる力」を育んでいってほしい。そして、誇り高き西高生の一人として本校の歴史に皆さん自身の手で新たなページを刻んでいってくれることを大いに期待しています。私たち浦和西高校教職員一同、皆さんの高校生活を、全力でサポートいたします。

  保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。入学式に臨み、高校生として第一歩を踏み出した我が子を御覧になり、感慨も一入のことと、心からお喜びを申し上げます。高校時代は、お子様が大人になっていく上で、多くの知識を身に付け、生徒自身が主体的に考え、行動して、様々な課題に取り組み、解決へと導く能力を養っていく時です。私たち教職員一同、深い愛情と、時には厳しさを持って、お子様の成長に全力で尽くしてまいります。しかし、当然のことながら、教育は学校だけでできるものではありません。学校と家庭がしっかりと手を取り合って育てていくことが必要不可欠です。どうか、本校の教育方針にご理解をいただき、ご協力・ご支援を賜りますようよろしくお願い致します。

  結びに、皆さんにとって、浦和西高校での3年間が、「最高の3年間」だったと、心からそう言える充実した日々となりますことを祈念し、式辞といたします。

                                              令和六年四月八日   埼玉県立浦和西高等学校長 加藤 元

令和6年度第1学期 始業式校長講話

 いよいよ本日から令和6年度が始まりました。午後の入学式で、359名の新入生を迎え、2、3年生合わせて、計1069名でのスタートとなります。今年度、本校は90周年という節目の年を迎えます。これまで数多くの先輩たちが築き上げてきた西高の伝統を大切にしながらも、新たな伝統の創出を意識しながら、この一年間、西高全体で90周年を大いに盛り上げていってほしいと思います。

 さて、先月、進路指導報告会という会議が行われました。この進路指導報告会は、3学年の先生方が1年間指導されてきた様々な受験指導の取組を、2学年の先生方と共有し、今年度の進路指導を円滑に行っていくための、いわば引継ぎの会議です。会議では、様々な取組状況について報告がありましたが、その中で、生徒たちが志望大学に合格できた要因について話題になりました。先生方の話によると、志望大学の合格を見事勝ち取った生徒の傾向には、大きく2つの特長があるようでした。今日はそのことについて話をしたいと思います。

  志望大学に合格できた生徒の一つ目の特長は、欠席や遅刻をせず、部活動を含め学校生活をしっかりと送り、教員の話をしっかりと聞いてきた生徒であるということです。

  ここにいる皆さんは全員、高校受験を体験して入学してきました。ただ、大学受験は、高校受験とは全くの別物です。高校入試とは違い全国の高校生がライバルになるわけです。おそらくこれまでの人生の中では、経験したことのない大きな試練になるといっても、決して過言ではありません。これから、勉強を進めていく中で、一生懸命勉強していても、中々模試の成績が上がらず、極度の不安を感じる時もあるかもしれません。自分の勉強方法はこれで大丈夫なのか、今使っている参考書や問題集で大丈夫なのか、予備校や塾にもっと頼った方がいいのではないか、と気持ちがぐらぐらしてしまう時期があるかもしれません。こういった不安定な精神状態に陥ると、自己管理もままならず、基本的生活習慣が崩れ、欠席や遅刻が増えがちになります。常に弱気にさいなまれ、第一志望を簡単に下げてしまったり、受験を最後まで戦い抜くぞという気力も薄れてきてしまいます。だからこそ、皆さんにはどのような状況の中でも、西高での高校生活をしっかりと送ってほしいのです。

  ドイツの哲学者ニーチェの言葉に「汝、足下を掘れ。そこに泉あり。」というものがあります。 人は皆、自分の足下を掘っていったら必ず泉が湧いてくることを忘れている。あっちに行ったら水が出ないか、向こうに行ったら井戸がないか、と思っているけれど、実は自分の足下に泉はある。与えられたものをコツコツと地道にやり続けた先に自分にしか到達できない泉がある。という意味です。

  皆さんの足下は、まぎれもなく、この西高での生活です。凡事徹底、西高での高校生活を毎日しっかりと送ることによって、自己管理能力を高めながら、受験にしっかりと対応できる気力、体力、学力を育てることができるし、第一志望を最後まであきらめずに戦い抜くことができる。結果、受験という試練を通して、将来どんな困難な出来事に遭遇しても、それを乗り越えていける強い精神力を育てることができるのです。

  本校には、皆さん一人一人の置かれている状況をよく理解していて、的確なアドバイスを必ず送ってくれる先生方がいるわけで、その心強いサポートを受けながら、皆さんには、自分自身を易きに流させない強い自制心と熱いチャレンジ精神を持って、授業に部活動、学校行事に受験勉強にと、西高生という軸足を決してぶらすことなく、自分の夢の実現に向けて、地道に努力を続けてほしいと思います。  

  志望大学に合格できた生徒の二つ目の特徴は、将来やりたいことを明確に抱き、高い目標を掲げ、何としてもその目標の実現に向け、第一志望に合格したいという確固たる強い気持ちを、最後まで決してあきらめずに、持ち続けた生徒であるということです。

  以前、ある進路指導の集まりで聞いた高校生の話を紹介します。

 高校入試をぎりぎりで通過し、高校に入学したある女子生徒がいました。入学後は授業に追いつくのにも苦労していました。「宇宙の始まりを知りたい。光学望遠鏡ではなく電波望遠鏡のある大学で宇宙の研究をしたい」というのが彼女の入学当初からの将来の夢でした。1年生の時、担任が「大学はどこに進学したいのか」と聞くと、淡々と「東京大学です」と答えたそうです。担任は驚いたがすぐにうなずいて、「そう、がんばって」とかえしました。2年生、3年生と、模擬試験の成績は伸びませんでしたが、夏休みには、東北大学で開催された高校生向けの天文学会に参加し、目を輝かせながら、グループ発表のための説明スライド作成を担当するなど、天文学の探究は続けていました。やがて入試の時期になり、当初志望の東大ではありませんでしたが、事前の合否判定予測を覆して、東北大学に見事合格しました。東北大も電波望遠鏡で研究ができます。そして大学院は東大に進み、あこがれていた先生の研究室で学びました。学位を取得し国立天文台に入り、いまは南米チリに時々行きアルマ望遠鏡を使って宇宙の始まりを研究しているそうです。

 この話は、レアケースかもしれませんが、将来のイメージを明確に抱き、高い目標を掲げ、その実現に向け、ひたむきに努力し続け、見事に夢を実現させた話として傾聴に値するものです。

  この春卒業した本校の先輩たちもしっかりとした明確な目標を持って、大学受験に挑みました。

 例えば、Aさんは、日本国内にいる在留外国人の不当な差別待遇を解消するために、その研究をしている教授のもとで、将来的には必要な法改正も視野に法律の側面から救済できるよう勉強していきたいと名古屋大学の法学部に進んでいきました。

 Bさんは、スポーツ観戦を、スタジアムで観戦するだけでなく、VR技術を生かして、家庭でも簡単に観戦できる技術を開発し、臨場感あふれるリアルな感動を多くの人々に味わってもらえるような研究をしたいと筑波大学の理工学部に進学していきました。

  Cさんは、親の介護体験見て、その大変さを痛感し、将来は、テクノロジーの力を使って、これからの少子高齢化に伴う介護の負担を、少しでも軽減させる技術を開発したいと東京都立大学のシステムデザイン学部に進んでいきました

  Dさんは、幼少期に過ごしたシンガポールでの生活体験や、アメリカで友人が受けた人種差別を目の当たりにした経験から、将来、国際公務員となって、平和的な世界を実現したいと、在学中にも留学で英語を鍛えながら、国際基督教大学(ICU)に進学していきました。

  Eさんは、将来、理系分野の人が開発した社会に役立ちそうな技術などを、地域社会や海外に広げていけるような、技術と社会とを繋げる仕事に就きたいと思い、大学では国際系の勉強や地域デザインなどを学びたいと千葉大学の国際教養学部に進学していきました。

  このように、この春卒業した先輩たちも崇高な夢、高い志を持って、勉強はもちろん、部活動に、学校行事にと、西高での生活をしっかりと送りながら、最後まであきらめずに第一志望を目指し続け、見事合格し、自分の夢の実現に向かって、この4月から大学生活をスタートさせています。

  以上、この春、見事合格を勝ち取った生徒の傾向として2つの特長について話をしましたが、これは、別に受験だけの話ではありません。部活動等でも、高い目標をもって、勝ちたい、いい賞を取りたいと確固たる強い気持ちで、日々の練習を怠ることなく積み重ねていく姿勢にも通じるものです。

  皆さんには、計り知れない可能性があります。皆さんには、その自分の可能性を信じて、自ら立てた高い目標の実現に向けて、西高生としての軸足を決してぶらすことなく、西高でのあらゆる教育活動を通じて、自分なりの泉を見つけてほしい。そして、将来、社会のリーダーとして、素敵な未来を切り拓いていってくれることを大いに期待しています。    

 自主自立 輝け、西高生!    以上

令和5年度 修了式校長講話

   早いもので、令和5年度も、本日修了式を迎え、締め括ることとなりました。今年度、皆さんにとっては、どんな1年だったでしょうか。1年前の自分と比較して、ほんの少しでも、成長することができたでしょうか。

  先日、本校で西高つくり懇話会というものが開かれ、今年度の本校の教育活動について、大学教授や地元近隣の方々、同窓会やPTA後援会関係の方々、生徒会執行部の皆さんから意見を伺う機会がありました。そこで、このような意見がありました。

 地域の人たちは、西高生をよく見ている。いつも一生懸命に行動している西高生は地域の誇りである。

 地域との交流会で、西高の生徒が自分たちで研究している内容を発表してくれる機会があったが、西高生の素晴らしい発表に大変な感銘を受けた。

 1年生で英語のワークショップを開催したとき、西高生たちの自分の意見をしっかりと主張できる積極的な行動力に当日指導にあたった大学のゼミ生たちが驚き、そして心から感動していた。

 このように、外部の方々からの西高生に対する高い評価を伺うことができ、本当にうれしく思いました。

   私も、4月に西高に着任して以来、この1年間、自主自立の精神のもとで、授業や学校行事、部活動にと、本当に主体的に一生懸命取り組む西高生や、そして君たちのことを第一に考え、君たちの主体的な取組を温かく支えてくれている先生方の姿を見させていただき、今や、心の底からこの西高を大変誇らしく思っています。

 さて、今日は、修了式にあたり、スポーツ界と音楽界で活躍されている二人の方の話を紹介したいと思います。

   1人目は、サッカー日本代表選手として活躍している、日本が世界に誇るMF三苫薫選手です。彼の突破力の高いドリブルは、日本はもとより、世界のサッカー界からも高い評価を得ていることは皆さんもよく知っていることと思います。

 三苫選手は、高校時代、Jリーグチームの下部組織からトップに上がれる話を受けながらも、「プロでやっていける自信がない」と大学進学を選びました。「サッカーの1対1場面における攻撃側の情報処理に関する研究」これは、三苫選手が大学で書いた卒業論文のタイトルです。頭に小型カメラを着けてデータを取り、ボールをもらう際の自分と他の選手の目の動きを比較、研究し、論文にまとめたものだそうです。

   彼は、大学時代、全体練習後も、1対1場面での対応技術を、来る日も来る日も、特訓したそうです。しかも、納得できるまで終わりにすることなく、グランドが使えなくなる時間まで続けたそうです。それ以外にも、かつて日本記録を出した陸上競技部の監督にも教えを請い、ドリブルに生かすため、走るだけではなく止まったり動いたりすることを素早く切り替える練習にも励みました。こうして、ドリブル技術の精度を高めていったのです。プレー以外でも、食事や睡眠など、良いと言われる方法を聞けば何でも試し、例えば、体作りのため、白飯1・5合の定食を食べた後、部屋でパスタをゆでたこともあったとか。

   自分が成長できることなら、何でも試してみる。そうした努力の末、相手が想定したドリブルの逆をついて抜くことができたり、相手があらゆる対応をしてきても突破できるといった世界屈指のドリブラーへと進化していきました。そしてその進化は終わることなく、今もなお、世界最高峰のイングランド・プレミアリーグで技を磨き続けているのです。

   2人目は、音楽ユニットとして日本だけでなく海外でも大変人気の高い、YOASOBIのボーカル、幾多りらさんです。

  YOASOBIの曲は、自分は群青という曲が大好きですが、テンポが速く、旋律が目まぐるしく動き、ラップも織り込まれている難しい曲が少なくありません。しかし、彼女の歌声は、その難しさを見事にこなしながらも、歌へのいちずな思いを、私たちの心に響かせてくれています。

    彼女は「物心ついた頃から歌が大好きでした。寝る時間以外は歌っているくらい歌と一緒に生きてきました。『絶対にこれだ』と思って進んできたんです。」と語っています。3才までシカゴに住んでいたこともあって、幼少期から、身の回りには洋楽が溢れていましたが、たとえ、言葉の意味が全く分からなくても、とにかく英語をまねて歌っていたそうです。彼女曰く「元々できなかったことでも食らいついて行って、どうにかして自分のものにしようとする姿勢は、子供の頃からだったのかもしれません。」とも語っています。彼女が小学生の頃に思い描いた夢は、自ら曲を書いて歌うシンガーソングライターになること。小学6年生の頃にはギターで作詞作曲を始めていたそうです。「何か動き出さなきゃ夢がかなえられない」との思いで、中学3年生の頃には音楽関係のオーディションを受けたり、路上ライブを行ったりと、本格的な活動を開始したそうです。

   今や日本を代表するアーティストとしての不動の地位を手に入れ、ドーム公演や海外のステージで素晴らしいパフォーマンスを見せてくれていますが、今、彼女は23才で、19才でメジャーデビューですから、ほんの数年前、君たちと同じ年齢くらいの頃には路上ライブ等でいちずに夢を追いかけていたことになるでしょう。彼女は、「夢をかなえるためには、いろんな手段を使って一歩でも近づきたかった。路上の怖さよりも、何もしない自分の方が怖かったんです。」と当時の心境を語っています。

   三笘選手と幾多りらさん、この二人に共通していることは何でしょうか。それは、大好きなことに対して、誰からも強制されることなく、自らの意思で行動を起こしていること。そして、自分の夢の実現に向かって、たとえ、自信がなかったり、不安があったとしても、そんなことで歩みを止めることはせず、自らを高めることにとてもハングリーであり、ストイックでもあり、決して妥協をしなかったことではないでしょうか。

   勉強でも、部活動でも、趣味でも、他の人に言われた通りにやっているうちは、うまくなるのも、強くなるのも、力がつくのも、たかが知れています。そうではなくて、自分で考えて、自ら進んでやるからこそうまくなるし、伸びるし、目標も達成できる。これこそが、西高が最も大切にしている自主自立なのではないでしょうか。

   西高は、この自主自立の精神のもと、自由な校風で知られています。大前提として、西高には生徒準則はあるものの、他校にあるような校則はありません。校則がないということは、行動を規制をしなくても、概ね自分で適切に判断し、行動できるのが西高生だからです。自分で考えることができる、易きに流されず、自分の好きなことを追及しようと思う。そういった自主自立の精神と、それを実践するための基本的なスキルが身に付いているのが西高生なんだということです。

   もちろん、自主自立を曲解し、自由を履き違え、なんでもかんでも好き勝手にやっていいということではないし、他人を無視し、倫理観を軽んじて、自分の価値観のみで行動しても構わないということでも当然ないわけです。自分自身を易きに流させない強い自制心、社会で適切に生きていく上での高度な判断力がベースになければなりません。その上で、自らの興味関心を深め、自分の好きなことを、ハングリーに、ストイックに、本気でトコトン追求する。これこそが西高の自主自立の伝統であり、この伝統を君たちには、今後も大切にし続けてほしいと思います。

   4月から、新たな勉強や学校行事に部活動、新たな高校生活が始まります。そして新たな仲間や後輩との出会いも待っています。4月になれば、新入生が入ってきます。君たちには、4月からくる新入生に、本気で自主自立を追及している姿を見せてほしいと思います。そして、今年迎える創立90周年にふさわしく、浦和西高校をさらにバージョンアップしてくれることを大いに期待しています。

   自主自立、輝け 西高生

令和5年度 第76回卒業証書授与式式辞

  厳しかった冬の寒さも和らぎ、ようやく春の訪れを感じるようになった今日この佳き日に、PTA会長 白寄 信吾 様、後援会会長 安藤 真美子 様、西麗会会長 島﨑 富夫 様の御臨席を賜り、埼玉県立浦和西高等学校 第76回卒業証書授与式を挙行できますことは、本校にとりまして、この上ない喜びであります。

  ただ今、卒業証書を授与いたしました356名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。教職員一同、皆さんの卒業を心より祝福いたします。

 晴れの卒業にあたり、これから社会で活躍する皆さんに、エールを送る意味も込めて、餞(はなむけ)の言葉を贈ります。それは「時勢に応じて、自らを変革せよ」という言葉です。これは、幕末から明治維新という変化の激しい時代を生き抜いた坂本龍馬の言葉です。

  私たちが生きる現代の社会は、技術革新、いわゆるイノベーションが日進月歩であり、新しい技術が次々と開発され、これまで最新だった技術がすぐに過去の遺物となってしまうなど、まさに急激な変革を伴う時代と言われています。身近な例を挙げれば、19世紀に世界で初めて電話機が発明されてから、携帯電話の普及まで約100年以上かかったのに対し、その後のスマートホンの普及までは、わずかたった10年程度しかかかりませんでした。今後も、生成AIや自動運転などの登場によるより一層の情報社会の発達や、グローバル化のさらなる進展、少子高齢化による人口構造の変化などにより、私たちの社会は、さらに加速度を増して変化していくことでしょう。確実に言えることは、このような、これまで何千年にもわたる人類の歴史の中で、誰一人として経験したことのない予測不可能な急激な社会の変化の中で、皆さんは生きていかなければならないということです。

 そこで、この急激な変化を伴う時代の中を生き抜いていく上で、皆さんに是非とも大切にしてほしい要素として、3つお話したいと思います。

 1つ目の要素は、固定観念にとらわれない柔軟な発想力です。

 これまで、歴史の転換期には、当時の常識を覆す変革者たちの存在がありました。例えば、ルネサンス期、中世の絶対的な考えであった「宇宙の中心は地球である」という天動説を否定し、「太陽を中心として地球はその周りをまわっている」という地動説を唱えたコペルニクスやガリレオ・ガリレイ。例えば、戦国武将でありながら、これまでの封建的な政治経済の秩序を否定し、楽市楽座など、商業活動に対する規制緩和を取り入れた改革をすすめ、約100年にも渡った戦国時代を終結させる礎を築いた織田信長。洋の東西を問わず、時代の変革期には、必ずと言っていいほど、これまでの固定観念にとらわれない柔軟な発想がありました。

  誰もが驚き、受け入れがたいと思うような「非常識」なものこそが、実は革新的なアイデアとなり、新たな時代のニーズにマッチした「常識」となり得ることを歴史は証明しています。今まさに変革の時代だからこそ、高い嗅覚をもって、時代の潮流を読み取り、自らの価値観を変えていく柔軟性、これまでの「常識」を打ち破り、「非常識」を「常識」に変えていくダイナミックな発想力が求められているのです。

  2つ目の要素は、例えどのような社会変革の中であろうとも、人として、正しく生きる「誠実な心」を持つことです。

 江戸時代に、現在の滋賀県にあたる近江地方で活躍した近江商人の活動理念の一つに、「買い手よし、売り手よし、世間よし」という「三方よし」というものがあります。これは「自らの利益のみを求めるのではなく、その顧客のことを心から想い、多くの人に喜ばれる商品を持って商売を行い、社会に貢献していく」という理念で、まさに企業と顧客と社会とが「win-win」の関係となる、現代の企業倫理にも通じる考え方です。

  消費者や社会の幸福や利益を軽視し、自らの営利のみを追求するといった、社会的責任を果たせない企業は、決して世間から支持されるものではなく、社会の中で淘汰されていくのは必然です。世の中がAI中心の高度な情報社会に変貌していく中で、単に利益や効率のみを追求するのではなく、人類のため、社会のために貢献していこうという崇高な理念を持って、他人や社会が真に求めているものを考え抜き、思いやりに満ちた行動を取ろうとする「誠実な心」は、決して失うべきものではありません。

  3つ目の要素は、変化の激しい社会に臨む「覚悟」を持つことです。

 予測不可能な新たな時代の中で生きていくには、誰しも不安になるのは当然です。たとえ不安な心境に陥ったとしても、なんとかやってみようと前向きに行動できる人、不安な点があると、できそうにない理由を見つけ、ただ不平不満を訴えるだけの人、あるいは、誰かが何とかしてくれるだろうと、自らは動こうとせず、ただ傍観するだけの人など、人々の反応は様々です。しかし、ただの不平不満や建設的でない批判、傍観するだけでは、何も生まれることはありません。

 理不尽や不都合なこと、自分の意に沿わないことにも、真正面に向き合い、世のため人のために「自分は絶対にこれを実現させよう」、「どんな状況でも、自分の役割を果たしていこう」という「覚悟」があれば、必ず道が開けます。「覚悟」があれば、どんなに不可能だと思えたことにも、一筋の光が必ず射してくるものだと思います。

  「時勢に応じて、自らを変革せよ」

  さあ、これからは皆さんの時代です。明日からの日々、たとえ予想すらしなかった困難が待ち受けていようとも、何も不安に思うことはありません。なぜならば、皆さんはこの3年間、自主自立の精神のもと、あえて、自らを自由な環境の中に身を置くことで、真の自立した人間性、粘り強さや忍耐力、協調性やリーダーシップといったこれからの変化の激しい社会の中で、自分の足で困難を乗り越えるのに不可欠なたくましさ、本当の意味での「生きる力」を育んできたではありませんか。コロナ禍という突然始まった理不尽な出来事に、決して臆することなく、本校での高校生活を見事に全うすることができたではありませんか。

  思い起こせば、3年前、皆さんの高校生活は、コロナ禍の影響をまだまだ否応なく強いられたスタートでした。常に、マスクの着用や手指消毒、黙食等の感染防止対策を強いられ、体育祭、遠足、文化祭などの学校行事や部活動を行う上で、常にコロナ禍を意識せざるを得ない高校生活となり、理不尽な出来事につらい思いをした時もあったことと思います。それでも皆さんは、決してコロナ禍に背を向けることなく、そしてコロナ禍が落ち着いてきた後も、以前の学校生活を取り戻そうと、強い精神力を持って、学習に、部活動に、学校行事にと、自らの可能性を追求し、様々な困難に挑戦し続けてくれました。どんなにつらい時でも、協力し合い、励まし合い、お互いを思いやり、高め合える仲間と出会えることもできました。そして、その仲間とともに、時には柔軟に、時には強い覚悟を持って、それぞれの成長を遂げるための自らの変革に果敢に挑戦し続けてきた皆さんは、浦和西高校の誇りです。

 ぜひ、本校で培った自主自立の精神を生涯忘れることなく、3年間育んだ友情を糧に、これからも一つ一つの課題や難問に真摯に向き合い、固定観念にとらわれない「柔軟な思考」と、思いやりあふれる「誠実な心」、強い「覚悟」をもって、社会のリーダーとして、そして新たな時代の先駆者として、活躍してくれることを願っています。

 結びに、保護者の皆様、本日は、お子様の御卒業誠におめでとうございます。成長された我が子を御覧になり、感慨も一入のことと、心からお喜び申し上げます。併せてこれまでの本校の教育活動に対する御理解・御協力に厚く御礼申し上げます。これからも、良き理解者としてお子様を暖かく見守っていただくとともに、今後とも本校への変わらぬ御支援・御協力を賜りますよう心からお願い申し上げます。

 卒業生の前途洋々たる人生と、御家族の皆様の御多幸を祈念し、式辞といたします。 

                                             令和六年三月十四日  埼玉県立浦和西高等学校長  加藤 元

令和5年度第3学期 始業式校長講話

  まずは、元旦に発生した能登半島地震、被災された方々に対して、心よりお悔やみとお見舞いを申し上げるとともに、一刻も早い復興をお祈り申し上げます。

  さて、年末年始はあっという間に過ぎ去ってしまった感じですが、充実した冬休みを過ごすことができたでしょうか? 気持ちを新たに、新しい目標を立て、新たな決意で今日を迎えた人も多いのではないでしょうか。いずれにせよ、この新しい年が皆さんのさらなる成長につながる素晴らしい一年になることを願っています。

  今日は、新しい年、新しい学期を迎えるにあたり、次の言葉を皆さんに紹介します。

  「できるかできないかじゃない。やるかやらないかだ。」

  これは、鴻巣市にある埼玉県消防学校の指導教官が、訓練生に向けた言葉です。

  消防士という仕事は、火災や地震、事故などの災害から市民を守るために、まさに命がけで任務を遂行しなければならない大変な仕事です。今現在も、能登半島では、全国から派遣された消防隊員の方たちが、一人でも多くの命を助けたいという一心で、被災者の救助に全力であたっています。

  消防隊員は、一度、火災が発生すれば、重い装備を身に着け、1000度というすさまじい炎の熱さに耐えながら、過酷な状況の下で、人命救助のために迅速に行動しなければなりません。 ですから、普通の人ならパニックになってしまいかねない危険な現場で、素早くかつ的確な行動を取るために、相当の体力と強い精神力、どんな状況下であっても、冷静に判断できる能力が必要不可欠となります。当然この消防士としての必要な資質・能力を身に付けるためには、とても過酷な厳しい訓練が欠かせないというわけです。

  埼玉県の消防隊の新人隊員は、この消防学校で、約6か月間、訓練を受けることになっています。

 その訓練は、炎天下の猛暑の中、滝のような汗を流しながら、エンジンカッターで扉を切る訓練であったり、高さ7メートルに設置された長さ20メートルのロープを渡る訓練であったり、防火服や酸素ボンベなど重さ20キロの装備をつけての救助訓練や、さらには、放水中は重さが50キロから80キロにもなるホースを操作しての消火訓練など、連日の訓練は過酷を極め、あまりの苦しさに泣きながら訓練を続ける訓練生もいるそうです。

 少しでも気が緩むようなことがあれば、教官から厳しい態度で指導され、精神的にも体力的にも限界に達し、心が折れ、くじけそうになってしまうこともたびたびあるそうです。消防隊員が自分の気持ちに負け、あきらめてしまえば、目の前の人を救い出すことができません。

 「できるかできないかじゃない。やるかやらないかだ。」

  教官たちは、一人でも多くの人を災害から救い出す、目の前の命を決してあきらめない、そういう強い使命感を持った一人前の隊員に早くなってほしいという願いから、この言葉を飛ばし続け、くじけそうな訓練生たちを叱咤激励しているのだそうです。

  さて、2学期の終業式の講話では、カタリン・カリコ博士の話を通して、どのような状況であっても、強い信念を持ち続けていれば、必ず道が開けるという話をしました。しかし、これが中々難しい。何かしら困難や限界にぶつかると、やはり、弱気になってしまい、不安になってしまったり、信念がぶれてしまったり、現実から逃げ出したくなったり、という思いにかられてしまう人も多いかもしれません。ひょっとしたら、3年生の中には、受験を目前にして、今そういう心境の人もいるかもしれません。

  しかし、困難や限界を乗り越え、前に進むことができるのは、結局のところ、自分の力、自分の意志によるところ、つまりは腹をくくれるかどうか「覚悟」を決められるかどうかによるところが大きいのではないでしょうか。

 消防隊員のように「絶対にこの人たちを助けるんだ」という覚悟、君たちの「絶対に志望校に合格するんだ」「この試合に必ず勝つんだ」「この行事、この作品を最後までやり遂げるんだ」という強い覚悟、腹をくくることこそが、どんな状況でも自分の信念を決してブラすことなく、自分を奮い立たせ、限界を乗り越えられる原動力となるのです。

 「できるかできないかじゃない。やるかやらないかだ。」

  どんなに苦しい状況であっても、最後までやり抜く力は、社会のリーダーにとって必要不可欠な能力の一つです。皆さんには、西高でのあらゆる教育活動を通じて、どのような逆境の中であっても、最後までやり抜く強い信念と覚悟をもって挑戦し続ける、そんな社会のリーダーに是非育っていってほしいと本気で思っています。

  今日から始まる3学期は、言うまでもなく、1年間の総まとめの時期となります。

 「有終の美を飾る」という言葉があります。「物事をやり通し、最後を立派に仕上げること。」という意味です。

  3年生の皆さん、この時期、受験に対して不安になったり、ジタバタしたりする必要は全くありません。現役生は最後の一瞬まで実力が必ず伸び続けます。絶対に第一志望校に合格するんだという強い覚悟を持ち続け、頑張っている自分を最後まで信じて走り抜けてください。大丈夫。桜は必ず咲きます。

  1・2年生の皆さん、今更言うまでもありませんが、学校行事等の中心は皆さんです。今年90周年を迎える本校の良き伝統をしっかりと引き継ぎ、浦和西高校をさらに盛り上げていってください。そして、皆さん自身も授業に部活に学校行事にと全力で取り組み、心身共に鍛え抜き、さらなる成長を目指してください。

  「できるかできないかじゃない。やるかやらないかだ。」

  今学期、皆さん一人ひとりが、どのような有終の美を飾ってくれるのか楽しみにしています。

  自主自立 輝け西高生!

令和5年度第2学期 終業式校長講話

今学期、文化祭、修学旅行、マラソン大会などといった大きな学校行事がありましたが、皆さんの力を総結集して、大いに盛り上がり、成功を収めることができました。また、部活動においても、新人大会や作品の発表・出展など、運動部・文化部問わず、日頃の成果を存分に発揮してくれました。様々な学校行事を通じて、また、試合の応援や、作品展等に足を運ぶ中で、西高生の勢い、皆さんのひたむきに頑張る姿に鳥肌がたつくらいの感動を君たちからもらいました。今後も、自主自立の精神のもと、仲間とともに自らを高めあいながら、西高をさらに盛り上げていってほしいと思います。 

 さて、今日はまず本校にとって大変嬉しく、誇らしい出来事として、本校を平成2年に卒業した大阪大学の林克彦教授が、iPS細胞の先進的な研究成果により、先日、英科学誌ネイチャーによって、科学分野の「今年の10人」に選出されたというニュースが飛び込んできました。偉大な卒業生のこの素晴らしい功績に対して、皆さんと一緒に喜びを分かち合いたいと思います。

 それでは、終業式に際し、科学繋がりということで、今年のノーベル生理学・医学賞を受賞した女性科学者カタリン・カリコ博士の話をしたいと思います。

 「不可能だという思い込みが、挑戦を妨げてしまう。」 これは、今日お話しするカリコ博士の言葉です。

 カリコ博士のノーベル賞の受賞理由は、人工的に作ったmRNAを体内に投与したとき、過剰な免疫反応で起きる炎症などを回避する方法を開発したことにより、新型コロナウィルスのワクチンの製造に大いに貢献したということです。まさにリケ女の先駆け的な方です。

 ノーベル賞受賞者として一躍時の人となったカリコさんですが、彼女の研究人生は苦難の連続でした。カリコさんは、ハンガリーの小さな町で生まれ、大学で生化学の博士号を取得するにあたり、RNAの研究に従事するようになったそうです。博士号取得後、ハンガリー国内の研究機関に就職し、研究を続けていましたが、当時社会主義体制下だったハンガリーでは、経済が停滞し、研究費が打ち切られ、研究が続けられなくなってしまいました。

 そこで、カリコさんは、夫と当時2歳の娘の3人でアメリカへの移住を決めました。当時のハンガリーは100ドル以上の外貨を国外に持ち出すことが禁じられていました。100ドル(14,000円くらい)では、1か月も生活できません。そのため娘のテディベアのぬいぐるみの中に、かき集めた1000ドルくらいのお金を隠して持ち込んだそうです。

 アメリカでは、期限付きのポストを転々とした後に、ようやくペンシルべニア大学に雇用され、mRNAを薬に活用する研究を始めました。研究テーマのmRNAは、細胞内にある小さな分子で、タンパク質の設計図を伝える役目をします。細胞はmRNAの設計図通りにたんぱく質を組み立てていきます。そうしたことから、人工的に作ったmRNAを体内に投与してたんぱく質を細胞に作らせるという、まさに人体を「薬の工場」にする新たな製薬の発想が生まれました。しかし、人工のmRNAは、体内に投与すると免疫反応で炎症が引き起こされることが壁となり、医薬品への応用は困難で、実用化は難しいとみなされていました。

 併せて、その頃は、DNAの遺伝子組換え技術が脚光を浴びていました。RNAを研究し続けるカリコさんは、いろいろな研究者から「どうしてDNAの研究をやらないんだ」「RNAの研究なんて何の役にも立たないだろう」と認めてもらえなかったそうです。こんな状況ですから、政府や企業に研究費を申請しても、社会的意義のある研究とは思えないという理由で、中々認めてもらえず、また大学内のポストも助教授から研究員へと降格や減給されるなど不遇の時が続きました。

 しかし、研究開始から約35年、ようやく転機が訪れます。それは、エイズウィルスワクチンの研究を続けていた免疫学者で、今回ノーベル賞の共同受賞者となったワイスマン博士との出会いでした。

 当時カリコさんは、様々なmRNAを作成できるものの、過剰な免疫反応を起こしてしまう課題の克服に苦戦していました。しかし、免疫細胞の反応を調べる技術に熟知しているワイスマン博士と、お互いの知識を出し合いながら、研究を進めることにより、mRNAをワクチンに活用する新たな発想へとつながっていきました。そしてついに、mRNAを構成する物質の一部を別の物質に置き換えることにより、免疫反応を回避でき、目的のたんぱく質を十分に作れる方法を発見したのです。そんな時に、新型コロナウィルスの世界的なパンデミックが起き、突然、mRNAを活用したワクチンが脚光を浴びることになったのです。

  mRNAワクチンの優れている点は、なんといっても体に作らせるたんぱく質の設計図さえ分かれば短期間で開発できる点なので、新型コロナウィルスの遺伝子情報が公表されると、通常では数年かかるところ、わずかたったの11か月でワクチンが実用化され、その後も変異株に対応したワクチンも次々と開発されていきました。そして、このワクチンは世界各国で使われ、死亡率や重症化率の低下に大きく貢献したのです。

 ハンガリーでは研究資金が打ち切られ、渡米後も企業や大学にはほとんど評価されず、降格や減給までされるという困難が、長年に渡り続いていく中で、カリコさんは決して腐ることなく、心も折れることなく、mRNAの研究をあきらめませんでした。

 なぜカリコさんは、35年もの間、あきらめなかったのか。一つは、逆境をビハインドに考えないポジティブな物の考え方があったからかもしれません。加えて、彼女の研究室の真向かいには病棟があったのですが、その病棟を見る度に、「私たちの研究はあそこにいる患者たちに届けなければならない。mRNAを治療に絶対に役立てたい」という強い信念があったからと彼女も当時を振り返っています。

 「不可能だという思い込みが、挑戦を妨げてしまう。」

 この言葉を胸に、カリコさんはmRNAの可能性を信じて、周りから評価されない研究をひたすら続けるのでした。もし、カリコさんが途中で研究を投げ出していたら、コロナ禍でのあの医療のひっ迫は、より深刻な状況になり、感染の収束はもっと遅れていたことでしょう。

 カリコさんは、ある取材で、次のように答えています。

「人生には、周りの人が成功しているのに、自分だけが上手くいっていないと思うことが、よく起きるものです。そんな時、無性に腹が立ったり、他人を羨んだり、焦ったり、落ち込んで心が折れそうになることがあるかもしれません。でも、自分が上手くいっていないことを、周りのせいにしても意味がありません。なぜなら、他人のことや周りの環境というものは、そう簡単には変わらないからです。そんな周りのことを一々気にして落ち込むくらいだったら、目的に向かって自分が今何をすべきなのかということに集中すること。これが大切です。信念があってあきらめることをしなければ、必ず目的を達成することができるのです。」

 カリコさんのこの生き方は、たとえ自分がどんなに苦しい状況であろうと、他人を羨んだり、周りのせいにしたりすることなく、自分の今やるべきことに集中すること、信念を持って自分の道を進んでいくことの大切さを教えてくれています。

 「不可能だという思い込みが、挑戦を妨げてしまう。」

 忙しかった2学期も今日で終わりです。明日からの冬休み、3年生は一般受験に向け、いよいよカウントダウンが始まります。大丈夫。現役生は最後の一瞬まで実力が必ず伸び続けます。決して弱気になることなく、絶対に合格するぞという強い信念を持って、自分の今やるべきことに集中して、ラストスパート、合格に向けて最後まで走り抜けてください。

 1、2年生は、西高生としてのこれまでを振り返り、3学期や4月からの新年度につながるよう、学習事項の総復習、部活動などでの新たな目標設定にこの冬休みを使ってみてはどうでしょうか。

 くれぐれも、事故等には十分気を付けて、1月9日には元気な姿を見せてください。それでは皆さん、メリークリスマス そして、良いお年を! 

 自主自立、輝け西高生!